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シンギュラリティは近いの要約感想!SFじゃね?未来像を語る書籍

レイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い」(エッセンス版)を読みました。

勉強になった点を中心に要約と感想をお伝えします。

要約

テクノロジーの進歩が指数関数的に向上し、発生するパラダイムシフトも指数関数的に増加する。

本書では、シンギュラリティの定義として以下のように言及している。

シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからつくり出したテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。

コンピューターは高速化し、人間の三次元の並列的な思考までも再現できるようになる。

ナノボットという、微細なコンピューターを血液中に流すことにより、脳の仕組みを正確にスキャンできるようになる。

すると、人格自体をアップロードしたり、ダウンロードできるようになる。

ナノボットを通じて、完全没入型のVRで快楽までも再現できるようになる。

人体も効率の悪い臓器などは、人工的なものに変えられたり、無くす方向に向かう。

テクノロジーと人間はどんどん融合していく。

人間同士は言葉でコミュニケーションしなくても、ナノボットを通じて感覚だけでコミュニケーションすることも可能になる。

なので、主観と客観という概念すらなくなる可能性がある。

すると、プラトンの時代から議論されてきた意識とアイデンティティの問題に立ち返ることになる。

それは高尚な哲学的な問題ではなく、実際的で政治的で法律的な問題となってくる。

ここまでくると、人間は生物的な限界を超えており、もはや人間と呼べるのかも疑問となってくる。

シンギュラリティのあとにくる時代を「脱人間(ポストヒューマン)」と呼び、脱人間主義の時代になると予想している人もいる。

また、肉体にすら意味がなくなってくる。

著者は自らを「パターン主義者」と呼んでいる。

移り変わる肉体などの物質なんかよりも、パターンが重要だとしている。

ここまでくると、仏教の存在論、

主観的な経験こそが究極の真実だとされており、物理的または客観的現象はマーヤー(幻影)だと考えられている。

に近い考え方になる。

感想

一般にシンギュラリティ(技術的特異点)とは「人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事」と言われることが多いが、この本で語られるシンギュラリティはそんなレベルの話しではなく、もっと深いものだと感じた。

もっと哲学的で人間のありかた自体に影響を与えるものだ。

ただ、本自体どこまで本気で信じてよいのか、迷う部分はある。

あくまで著者が考えている未来像に過ぎず、データを使って未来予想をしているようで、非常に著者の創作的なようにも読める。

産業革命など、これまでのパラダイムシフトをたくさん挙げて、それらが指数関数的に増えている、としている。だが、何をパラダイムシフトと呼ぶかは、あくまで思想家などの人間がリストアップしたもの、ということで、あまり科学的な根拠とは思えない。

何をパラダイムシフトと呼ぶか、明らかに過去よりも現在・未来側に多くなるようなバイアスがかかっていると思った。

また、ここで語られている具体的な技術要素(ナノボットや石のコンピューターなど)が実現されるか私にはわからない。

でも、人間とコンピューターの融合という方向性自体は正しいのだろうと私も思った。

なので、ポストヒューマンの時代に備えて、何が起きるか、という視点は持っておいても損はないかもしれない。

完全没入型VRで快楽までも正確にし発生させることができるとしたら、人間は何を目標に生きるのだろうか、と単純な疑問を覚えた。

なので、この本のタイトルは、シンギュラリティというバズワードを使いたかったのかもしれないが、原著の通り「ポストヒューマン誕生」の方がよいのでは、と思った。